DX推進に伴うリスクを機会に変えるERM戦略
デジタルトランスフォーメーション(DX)時代の新たなリスク環境
現在、多くの企業でデジタルトランスフォーメーション(DX)が経営戦略の柱の一つとして推進されています。DXは、最新のデジタル技術を活用してビジネスモデルや組織、プロセス、企業文化を変革し、競争優位性を確立することを目的としています。しかし、この変革は同時に、従来とは異なる性質やレベルのリスクを企業にもたらしています。
例えば、サイバーセキュリティリスクは年々高度化し、ランサムウェア攻撃や標的型攻撃などが企業の事業継続に深刻な影響を与える可能性が高まっています。また、ビッグデータやAIの活用が進むにつれて、データプライバシーや倫理に関するリスクも顕在化しています。さらに、技術の変化は非常に速く、導入した技術がすぐに陳腐化する技術リスク、あるいは変化への対応の遅れによる競争力低下リスクも無視できません。ビジネスモデルそのものがデジタルによって変革されることで、既存事業のリスクや新たな収益源に関する戦略リスクも考慮する必要があります。
これらの新たなリスクは、相互に関連し合い、予測が困難な形で影響を及ぼすことがあります。このような複雑かつ不確実性の高い環境下では、従来の個別最適化されたリスク管理だけでは不十分であり、全社的リスク管理(ERM)の考え方に基づき、これらのリスクを統合的かつ戦略的に管理することが不可欠です。ERMを通じて、DXに伴うリスクを単なる脅威としてではなく、経営戦略の一環として捉え、むしろ新たな機会へと転換していく視点が、企業価値の持続的な向上には求められています。
新たなリスク環境に対応するためのERMの進化
DX時代のリスクに対応するためには、ERMも進化する必要があります。従来のERMは、比較的静的で、既知のリスク、特にオペレーショナルリスクや財務リスクに重点を置く傾向がありましたが、DXによってもたらされるリスクは、変化が速く、未知の要素が多く含まれます。
このため、ERMはより動的でアジャイルなものへと変化していく必要があります。具体的には、リスク識別・評価プロセスを継続的に実施し、変化する技術や市場、規制環境に合わせてリスクプロファイルを常に最新の状態に保つことが重要です。リスクの兆候を早期に察知するために、データ分析やAIなどのデジタル技術を活用したリスクモニタリングの手法を取り入れることも有効です。
また、DXリスクは特定の部門に閉じることなく、研究開発、IT、マーケティング、法務、人事など、複数の部門にまたがる横断的な性質を持っています。したがって、部門間の連携を強化し、全社的な視点でリスクを評価・対応する体制を構築することがERM成功の鍵となります。リスク認識の統一を図り、各部門が持つ専門知識を結集して、新たなリスクの実態とその影響を深く理解することが求められます。
DXリスクを機会に変えるERMの実践
ERMを単なるコストセンターではなく、企業価値創造に貢献する戦略ツールとして位置づけることが、DX時代においては特に重要です。そのためには、ERMを経営戦略と密接に連携させる必要があります。
DX戦略を立案する初期段階からリスクの視点を取り入れ、どのようなリスクを許容し(リスクアペタイト)、どのようなリスクは回避または低減すべきかを明確に定義します。特に、DX推進においては、ある程度の不確実性や失敗のリスクを受け入れることも必要となる場合があります。ERMは、このリスクアペタイトに基づき、リスクとリターンのバランスを見極めながら、投資判断やプロジェクトの優先順位付けをサポートする役割を果たします。
リスクを機会に変えるためには、リスク管理のプロセスを通じて得られた洞察をイノベーションや戦略的意思決定にフィードバックすることが重要です。例えば、サイバー攻撃のリスクが高まっているという分析結果から、よりセキュアなサービス開発やデータ活用プラットフォームへの投資を加速させる、といった戦略的な判断につながることが考えられます。また、データプライバシー規制の強化を、顧客からの信頼獲得やデータ活用の透明性向上による新たなビジネス機会創出につなげることも可能です。
組織全体でDXリスクを適切に管理し、機会に変えていくためには、リスク文化の醸成も不可欠です。経営層が率先してリスクに関する対話を奨励し、失敗から学び、変化に柔軟に対応できる組織文化を育むことが重要です。また、DXに関連する新たなリスクに対応できる専門知識を持つ人材の育成や、外部の専門家との連携も効果的です。
成功事例からの学びとフレームワークの活用
具体的な実践においては、同業他社や先進企業の成功事例から学ぶことが有効です。例えば、製造業におけるIoT導入に伴う生産ラインのサイバーセキュリティリスクに対し、事前の徹底したリスク評価に基づき、ネットワーク分離や異常検知システムの導入と並行して、データ活用のための新たなセキュリティ基準を策定し、オペレーション効率化とセキュリティ強化を同時に実現した事例などがあります。また、サービス業で顧客データのAI分析を進める際に、データ匿名化や利用規約の明確化といったプライバシーリスク対策を徹底し、顧客からの信頼を高めつつ、パーソナライズされたサービス提供による顧客満足度向上を実現した事例なども参考になるでしょう。
主要なERMフレームワークであるISO 31000やCOSO ERMも、DXリスク管理において引き続き有用です。ISO 31000はリスクマネジメントの原則とプロセスを示しており、DXによる変化を踏まえたリスク識別、分析、評価、対応、レビューの各段階に適用できます。COSO ERMは、リスクが戦略とパフォーマンスにどのように影響するかを重視しており、DX戦略の立案と実行におけるリスク管理の統合に役立ちます。これらのフレームワークを参考に、自社のDX戦略や組織特性に合わせてカスタマイズし、リスク管理体制を構築することが重要です。フレームワークはあくまで指針であり、形式的な適用に留まらず、実効性のあるリスク管理活動につなげることが求められます。
まとめ
デジタルトランスフォーメーションは、企業に大きな成長機会をもたらす一方で、複雑で不確実性の高い新たなリスクをもたらします。これらのリスクに効果的に対応し、さらにはリスクを戦略的な機会へと転換していくためには、進化するERMの実践が不可欠です。
経営戦略とERMを緊密に連携させ、動的なリスク識別・評価プロセスを導入し、データやテクノロジーを活用したリスクモニタリングを行うこと。そして、リスクアペタイトに基づいた意思決定を行い、リスク管理から得られた洞察をイノベーションに繋げること。これらを通じて、DX時代のリスクを単なる脅威として回避するだけでなく、企業価値を持続的に向上させるための推進力として活用することが可能となります。
ERMは、変化の激しい現代において、企業が不確実性に対応し、レジリエンスを高め、そして新たな価値を創造するための重要な経営ツールであり続けるでしょう。経営企画部門の皆様におかれましても、DX推進におけるERMの役割を再認識し、その高度化に向けた取り組みを進めていただくことを期待いたします。