ERMの継続的運用と改善:企業価値向上に資するリスク管理体制の維持・進化
ERMは構築で終わりではない:継続的運用と改善の重要性
全社的リスク管理(ERM)は、企業の持続的な成長と企業価値向上に不可欠な経営基盤として広く認識されています。多くの企業がERM体制の構築に取り組み、一定の成果を上げていますが、ERMが真に「活きた経営ツール」として機能し続けるためには、その導入・構築段階で終わりではなく、継続的な運用と絶え間ない改善が求められます。
経営環境は常に変化しており、新たなリスクが出現したり、既存のリスクの性質が変化したりします。また、組織そのものも成長し、戦略やビジネスモデルも進化していきます。このような変化に対し、ERM体制が静的なままであれば、やがて現状との乖離が生じ、形骸化のリスクが高まります。ERMを企業価値向上に継続的に貢献させるためには、変化に追随し、さらに proactively に対応できるような、動的で進化し続ける仕組みとして運用していく視点が不可欠です。
なぜERMの継続的運用・改善が必要なのか
ERMの継続的な運用と改善がなぜ重要なのか、その理由をより深く掘り下げてみましょう。
- 経営環境の絶え間ない変化への適応: 地政学的なリスク、技術革新、法規制の変更、市場の変動など、企業を取り巻く環境は常に不確実性に満ちています。ERMを継続的に運用することで、これらの変化に伴う新たなリスクを早期に特定し、評価・対応することが可能になります。
- 組織の成熟度向上: ERMの運用を通じて、組織全体のリスクに対する意識や能力は徐々に向上します。この成熟度に合わせてERMのプロセスやツールを改善することで、より洗練された効果的なリスク管理が可能になります。
- 経営戦略との同期維持: 経営戦略は市場や競合状況に応じて見直されます。ERMの運用を継続的に行い、経営戦略との連動性を維持することで、リスク管理が戦略実行の障壁となることを防ぎ、むしろ戦略達成を支援する強力なツールとなります。
- リスク文化の定着・深化: ERMの継続的な活動は、組織全体にリスクを意識し、議論し、適切に対応するという文化を浸透させます。単なるルールとしてではなく、従業員一人ひとりがリスクを自分事として捉えるようになるためには、日々の運用を通じた働きかけが重要です。
- ERMの実効性・価値貢献の最大化: 運用を通じて得られるフィードバックや効果測定の結果は、ERMプロセスのボトルネックや改善点を明らかにし、その実効性を高めるための貴重な情報となります。これにより、ERMはリスク低減だけでなく、機会創出や意思決定の質向上といった価値貢献を最大化できます。
ERM継続的運用の主要な構成要素
ERMを継続的に運用していくためには、いくつかの主要なプロセスが円滑に機能する必要があります。
- 定期的なリスク特定・評価: 事業活動や環境の変化を踏まえ、定期的に(例えば四半期ごと、年次など)リスクを特定し、その影響度や発生可能性を評価します。これは、新たなリスクの発見や既存リスクの変化を捉える上で不可欠です。
- リスク情報の収集・集約・共有: 各部門で発生するリスク情報、インシデント情報、リスク評価結果などを全社的に集約し、関連部門や経営層が必要な時にアクセスできる仕組みを構築・維持します。情報の一元化とタイムリーな共有が重要です。
- リスク対応計画の見直しと実行管理: 評価されたリスクに対する対応計画(リスク回避、低減、移転、受容など)は、その後の状況変化や対応の進捗に応じて見直される必要があります。計画の実行状況を定期的に確認し、必要に応じて見直しを行うプロセスを組み込みます。
- モニタリングとパフォーマンス測定: ERM体制全体の機能状況、主要なリスクの状況、リスク対応策の効果などを継続的にモニタリングします。また、ERM活動のパフォーマンスを測定するための指標(KPI)を設定し、その達成度を評価します。これにより、ERMが計画通りに機能しているか、改善が必要な点はないかを把握できます。
- 経営層への定期報告とフィードバック: 上記のモニタリング結果や主要なリスク状況、ERM活動のパフォーマンスなどを経営層に定期的に報告します。経営層からのフィードバックは、ERMの方向性を見直したり、改善の優先順位を決定したりする上で非常に重要です。
ERM改善サイクルの回し方:PDCAの活用
ERMを単なる運用に留めず、継続的に改善し進化させていくためには、明確な改善サイクルを確立することが効果的です。ここでは一般的なPDCAサイクルをERMに適用する考え方を示します。
- Plan(計画): ERMの運用状況モニタリングや効果測定結果、経営層からのフィードバック、内部監査や外部評価の結果などに基づき、ERMプロセス、体制、ツールなどに改善が必要な点を特定します。そして、具体的な改善目標を設定し、計画を策定します。例えば、「特定リスクカテゴリの評価手法をより定量的にする」「リスク情報の共有スピードを向上させる」といった目標が考えられます。
- Do(実行): 策定した改善計画を実行に移します。新たなツールの導入、プロセスの変更、関連部署との連携強化、担当者へのトレーニング実施などが含まれます。
- Check(評価): 実行した改善が計画通りに進んでいるか、設定した目標が達成されているか、期待した効果が得られているかなどを評価します。この段階では、定性的な評価だけでなく、可能な範囲で定量的な指標を用いた評価を試みます。
- Act(見直し・処置): 評価結果に基づき、更なる改善が必要な点や、計画自体の見直しを行います。成功した改善は標準化し、組織全体に展開することも検討します。このActの段階で得られた知見は、次のPlanにつながり、ERMの改善サイクルが継続的に回っていきます。
このサイクルを組織の状況に合わせて柔軟に適用し、定期的に回していくことが、ERMを陳腐化させず、常に最新の経営環境に対応できる状態に保つ鍵となります。
継続的改善を成功させるための鍵
ERMの継続的な運用と改善を効果的に進めるためには、いくつかの重要な要素が存在します。
- 経営層の強力なコミットメント: ERMの重要性を理解し、継続的な運用・改善に対して積極的な関心と支援を示す経営層の姿勢は不可欠です。定期報告への真剣なフィードバックや、必要なリソースの確保などは、推進担当者のモチベーション維持や全社的な意識向上に大きく貢献します。
- 部門間のシームレスな連携: ERMは全社的な取り組みであり、各部門からの情報収集や連携が不可欠です。部門間の壁を越え、リスク情報をオープンに共有し、共通認識を持ってリスク対応に取り組む文化を醸成することが重要です。定期的な部門間会議や合同研修などが有効です。
- 明確なリスクオーナーシップ: 各リスクに対する責任者(リスクオーナー)を明確にし、彼らがリスク対応計画の実行とモニタリングに責任を持つ体制を維持・強化します。経営企画部門は、リスクオーナーを支援し、全体の進捗を管理する役割を担います。
- 適切なツール・システムの活用: リスク情報の収集、集約、分析、報告といったプロセスを効率化・高度化するために、ERMを支援するツールの活用を検討します。適切なシステムは、手作業による非効率性を排除し、タイムリーで正確な情報に基づいた意思決定を可能にします。ただし、ツールの導入ありきではなく、目的に合った選定と段階的な導入が重要です。
- 人材育成とスキルアップ: ERMを推進・運用する人材の育成は継続的な課題です。リスク特定・評価スキル、分析スキル、コミュニケーションスキル、リスク管理フレームワークに関する知識など、必要なスキル向上のための研修機会を提供し、専門性を高める取り組みが必要です。
- リスク文化のさらなる醸成: ERMの継続的な運用を通じて、リスクをオープンに議論し、学び合う組織文化を深化させます。成功事例だけでなく、リスク対応がうまくいかなかった事例からも学びを得て、知識として共有する仕組み作りが有効です。
- 外部環境変化への感度向上: 市場、技術、社会、政治など、外部環境のわずかな変化の兆候を捉えるアンテナを高く持ち、それが自社にどのようなリスクや機会をもたらすかを継続的に考察する仕組みが必要です。シナリオプランニングやトレンド分析なども有効な手法となり得ます。
ERM運用・改善がもたらす企業価値向上への貢献
ERMの継続的な運用と改善は、単にリスクを管理するだけでなく、企業の成長と企業価値の向上に多角的に貢献します。
- 不確実性への適応力(レジリエンス)の向上: 変化するリスク環境に迅速に対応できる体制は、予期せぬ事態が発生した際にも事業の継続性を保ち、損害を最小限に抑えることに繋がります。これにより、企業のレジリエンス(回復力)が高まります。
- より質の高い経営意思決定: リアルタイム性の高い正確なリスク情報が経営層に提供されることで、よりリスクを織り込んだ、データに基づいた意思決定が可能になります。これは、戦略の実行精度を高めることにも繋がります。
- 新たな成長機会の発見と追求: リスクを網羅的に、かつ深く理解することで、リスクと機会は表裏一体であることを認識しやすくなります。適切なリスクテイクを通じて、新たな市場への進出や新規事業の創出といった成長機会を積極的に捉えることが可能になります。
- ステークホルダーからの信頼向上: 透明性の高いリスク管理体制は、投資家、顧客、従業員などのステークホルダーからの信頼を高めます。特にESG投資の観点からも、リスク管理の成熟度は企業評価に大きな影響を与えます。
- リスク関連コストの最適化: 事前に対策を講じることによるインシデント発生確率の低減や、発生した場合の損害の抑制は、結果としてリスク関連コスト(保険料、損害賠償、事業停止による損失など)の削減に繋がります。
まとめ:ERMを「進化し続ける力」として捉える
ERMは一度構築すれば完了するプロジェクトではなく、企業の成長とともに進化し続ける生きた経営機能です。経営企画部門の責任者として、ERM体制を構築した後の「運用」そして「改善」のフェーズに積極的に関与し、その実効性を高めていくことは、企業価値を継続的に向上させる上で極めて重要です。
継続的な運用を通じてリスク環境の変化を捉え、改善サイクルを回すことでERMの仕組み自体を常に最適な状態に保つ。これにより、ERMは単なるリスク回避のコストセンターではなく、不確実な時代においても企業が成長し、価値を創造し続けるための強力な推進力となるのです。この「進化し続けるERM」の実現こそが、リスクを真に価値に変える道筋と言えるでしょう。