ERMにおけるリスクオーナーシップの実践:組織のリスク対応力を高める鍵
ERMにおけるリスクオーナーシップの実践:組織のリスク対応力を高める鍵
不確実性が高まる現代において、企業の持続的な成長と企業価値の向上には、全社的リスク管理(ERM)の実効性向上が不可欠です。多くの企業でERM体制の構築が進められていますが、「リスクが各部門で他人事になってしまう」「リスク対応が形式的になる」といった課題に直面することも少なくありません。これらの課題を克服し、ERMを真に「活きた経営ツール」とするための鍵となるのが、「リスクオーナーシップ」の実践です。
本稿では、ERMにおけるリスクオーナーシップの定義とその重要性、そして組織全体にこれを根付かせるための具体的な実践ステップについて解説いたします。リスクオーナーシップを明確にし、組織内の隅々まで浸透させることは、単にリスクを管理するだけでなく、変化に迅速かつ的確に対応できる組織文化を醸成し、結果として企業価値の向上に繋がります。
リスクオーナーシップとは何か? その定義と役割
リスクオーナーシップとは、特定のリスクに対する責任と権限を持つ個人または部門を明確に定める概念です。リスクが発生または顕在化する可能性のある領域において、そのリスクを誰が「自分事」として捉え、管理し、必要な対応を意思決定・実行する責任を負うのかを明らかにします。
具体的には、リスクオーナーは以下の役割を担います。
- 担当リスクの特定、評価(発生可能性、影響度)
- 担当リスクに対する対応策(回避、低減、移転、受容など)の検討と決定
- 対応策の実行と進捗管理
- 担当リスクおよび対応状況に関する関係者(経営層、リスク管理部門、関連部門など)への報告
- 環境変化に応じたリスクの再評価と対応策の見直し
ERMにおいて、リスクオーナーシップを明確にすることは、全社で特定されたリスクに対して、責任の所在を曖昧にせず、主体的な管理と迅速な対応を可能にするための基盤となります。
なぜ今、リスクオーナーシップが必要なのか?
ERMの導入や高度化を進める上で、リスクオーナーシップの明確化は以下の点で極めて重要です。
- ERMの実効性向上: リスク管理プロセスが一部の担当者やリスク管理部門に偏ることなく、リスクの発生源に最も近い部門や担当者が責任を持つことで、より現実的で効果的なリスク対応が可能になります。形式的なリスク登録にとどまらず、現場での実質的な管理行動を促進します。
- 迅速な意思決定と対応: リスク発生時に、誰がどのような判断を行い、実行するかの責任と権限が明確であれば、初動対応が遅れることなく、被害の拡大を防ぐことができます。特に突発的なリスクや変化への対応力が向上します。
- リスク文化の醸成: 各部門や個々人が自らの業務に関連するリスクを「自分事」として捉え、意識的に管理するようになります。これにより、組織全体にリスクに対する感度が高まり、積極的なリスクコミュニケーションが促進されるなど、健全なリスク文化が根付いていきます。
- 経営層への報告と情報共有の円滑化: リスクオーナーが責任を持ってリスク情報を集約・報告することで、経営層はより正確でタイムリーなリスク情報を基に意思決定を行うことができます。また、部門間のリスク情報の共有も促進されます。
- 内部統制やコンプライアンスとの連携強化: リスクオーナーシップは、内部統制における「責任体制の明確化」やコンプライアンスにおける「現場での遵守意識の醸成」とも密接に関連しており、これらの活動の実効性向上にも寄与します。
リスクオーナーシップを組織に根付かせるための実践ステップ
リスクオーナーシップを単なる形式的な仕組みにせず、組織のDNAとして定着させるためには、以下のステップを計画的に進めることが有効です。
- 経営層の強いコミットメントと方針策定: リスクオーナーシップの実践がERMと経営戦略の重要な一部であることを、経営層が明確に宣言し、組織全体にメッセージを発信することが第一歩です。「誰がどのリスクに対して責任を持つか」を明確にする方針を定め、その重要性を繰り返し伝えます。
- 全社リスクの特定とリスクオーナーの割り当て: 全社的に特定されたリスクに対して、どの部門、どの役職者がそのリスクのオーナーとなるべきかを具体的に割り当てます。リスクの性質や発生源を考慮し、そのリスクに対して最も適切な対応責任を負える主体を選定します。
- 役割と責任の明確化: リスクオーナーの具体的な役割(評価、対応策検討、実行、報告など)と責任範囲を詳細に定義します。これを役職ごとの職務記述書(ジョブディスクリプション)や業務分掌規程に反映させることも検討します。また、リスク管理部門や内部監査部門といったサポート体制との連携方法も明確にします。
- 必要な権限とリソースの付与: リスクオーナーがその責任を全うできるよう、リスク対応に必要な意思決定権限や予算、人員などのリソースを適切に付与することが不可欠です。責任だけを負わせ、権限やリソースを与えない状況は、リスクオーナーシップの実効性を著しく損ないます。
- パフォーマンス評価への組み込み: リスクオーナーとしての責任遂行状況を、個人の目標設定や業績評価項目に組み込むことを検討します。これにより、リスク管理活動が単なる義務ではなく、評価されるべき重要な業務活動であるという認識を醸成します。
- 継続的なコミュニケーションとトレーニング: リスクオーナーシップの意義、役割、具体的な進め方について、対象者への丁寧な説明とトレーニングを継続的に実施します。成功事例の共有や、課題解決のためのワークショップなども有効です。また、リスク管理部門は、リスクオーナーからの相談に応じ、必要なサポートを提供します。
成功のためのポイントと注意点
リスクオーナーシップの実践にあたっては、以下の点に留意が必要です。
- 形式化させない: リスク登録簿に名前を記載するだけで満足せず、リスクオーナーが実際にリスクと向き合い、対応行動を取るための仕組みと文化を構築することが重要です。定期的なフォローアップやレビューの機会を設けます。
- 過度な責任追及にならない文化: リスクオーナーシップは、リスクが発生した際の「犯人探し」や過度な個人への責任追及を目的とするものではありません。リスクを適切に管理するための体制であり、たとえリスクが顕在化した場合でも、適切なプロセスと対応を取っていたかどうかに焦点を当てるべきです。失敗から学び、次に活かすポジティブな文化を醸成します。
- 部門間の連携支援: 複数の部門に跨がるリスクや、責任範囲が曖昧になりがちなリスクについては、部門間の連携を促進し、共同でのオーナーシップや調整役を明確に定めるなどの工夫が必要です。リスク管理部門がファシリテーターとして機能することも有効です。
- 柔軟な見直し: 事業環境や組織体制の変化に伴い、リスクの性質や発生源、最適なリスクオーナーも変化します。定期的にリスクオーナーシップの割り当てや体制を見直し、常に実態に合ったものにしておくことが重要です。
まとめ:リスクオーナーシップが「リスクを価値に変える」ために果たす役割
リスクオーナーシップの実践は、ERMを単なるリスクリストの管理から、組織全体が主体的にリスクと向き合い、変化に対応し、機会を捉えるための動的なプロセスへと進化させます。各階層、各部門が自らのリスクに対して責任と権限を持つことで、組織全体のリスク対応力が底上げされ、予期せぬ事態に対するレジリエンスが高まります。
これは、リスクを単に回避すべきものと捉えるのではなく、適切な管理の下で、時には成長のための挑戦としてリスクを受け入れ、新たな価値創造へと繋げる「リスクを価値に変える」というERMの核心的なコンセプトを実現するために不可欠な要素です。経営企画部門の皆様には、ぜひリスクオーナーシップの明確化と組織への定着を、ERM高度化の重要な施策として推進されることをお勧めいたします。