攻めのERM:新規事業リスクを成長機会に変える実践論
新規事業創造におけるERMの新たな役割
今日の不確実性が高まる経営環境において、既存事業の維持・拡大に加え、将来の持続的な成長に向けた新規事業創造は、多くの企業にとって喫緊の課題となっています。しかし、新規事業には未知のリスクや高い不確実性が伴い、これらを適切に管理できなければ、多額の投資が無駄に終わるだけでなく、企業全体の信頼性や財務状況に深刻な影響を与える可能性も否定できません。
一方で、新規事業におけるリスクは、単に回避すべき対象ではなく、適切に識別、評価、管理することで、新たな価値創造や競争優位の源泉となり得ます。ここに、全社的リスク管理(ERM)が果たすべき新たな、そしてより戦略的な役割があります。従来のERMが既存事業のリスク回避に重点を置く傾向があったとすれば、新規事業においては、リスクを積極的にテイクしながらもその影響をコントロールし、成長機会を最大限に引き出すための「攻め」のツールとしてのERMが求められています。
本稿では、新規事業創造を加速し、そのリスクを成長機会へと変えるためのERMの活用方法と実践のポイントについて解説いたします。
新規事業特有のリスクとERMの必要性
新規事業が既存事業と大きく異なる点は、その不確実性の高さにあります。市場の反応、技術の実現性、競合の動向、法規制の変化など、あらゆる要素が未知数であり、予測困難なリスクが多く存在します。
新規事業に潜むリスクの例として、以下のようなものが挙げられます。
- 市場リスク: 顧客ニーズが存在しない、想定した市場規模に満たない、競合優位性を確立できない。
- 技術リスク: 開発が成功しない、想定した性能が出ない、生産コストが高い。
- オペレーションリスク: 想定外のトラブル発生、品質問題、サプライヤー問題。
- 財務リスク: 想定を上回る開発コスト、資金調達の困難、収益化の遅延。
- 法規制リスク: 新規事業に適用される規制の不明確さ、予期せぬ法改正。
- 評判リスク: 事業の失敗が企業ブランドに悪影響を与える。
これらのリスクは相互に関連し合い、連鎖的に発生する可能性も高いです。したがって、新規事業を成功させるためには、個別のリスクを点として捉えるのではなく、全社的な視点からこれらのリスクを統合的に管理し、事業戦略と密接に連携させることが不可欠です。ここにERMが必要とされる理由があります。ERMは、新規事業活動全体に潜む様々なリスクを網羅的に把握し、経営目標達成に資する形でリスクを管理するためのフレームワークを提供します。
新規事業創造におけるERMの役割と実践ポイント
新規事業創造プロセスにおけるERMは、単なるリスクの洗い出しや対策リストの作成に留まりません。むしろ、事業の構想段階から撤退判断に至るまで、意思決定の各フェーズにおいて、リスク情報を事業戦略と統合し、適切なリスクテイクを支援する役割を担います。
1. 事業戦略と連携したリスクアペタイトの設定
新規事業は、既存事業に比べて必然的に高いリスクを伴います。そのため、新規事業領域において、企業としてどの程度のリスクを受け入れることができるのか(リスクアペタイト)を明確に設定することが重要です。このリスクアペタイトは、全社のリスクアペタイトの一部として、新規事業の戦略的な位置づけ(例:既存事業の補完、将来の柱、探索的な取り組みなど)に応じて設定されるべきです。これにより、新規事業担当者は、許容範囲内で大胆なリスクテイクを推進できる一方、無謀な挑戦を防ぐガバナンスが機能します。経営層は、設定されたリスクアペタイトに基づき、新規事業への投資判断やポートフォリオ管理を行います。
2. 迅速かつ柔軟なリスク特定・評価
新規事業はスピード感が求められると同時に、計画の変更が頻繁に発生します。ERMプロセスもこれに対応し、ウォーターフォール型ではなく、アジャイルな手法を取り入れることが有効です。初期段階では定性的なリスク評価を中心に、事業が進むにつれて定量的な評価を取り入れていくなど、柔軟なアプローチが求められます。また、未知のリスクを洗い出すために、多様なバックグラウンドを持つチームメンバーや外部専門家を交えたブレインストーミング、シナリオ分析、仮説検証型のアプローチなどが効果的です。リスク評価においては、発生可能性と影響度だけでなく、不確実性の度合いも考慮に入れる必要があります。
3. 意思決定プロセスへのリスク情報の統合
新規事業における最も重要なERMの実践は、各種の意思決定プロセスにリスク情報を組み込むことです。例えば、PoC(概念実証)の継続判断、本格的な開発への移行、スケールアップ投資、果ては事業からの撤退判断など、重要な節目において、リスク評価の結果と期待されるリターンをセットで議論する仕組みが必要です。リスク管理部門は、リスク情報を提供するだけでなく、リスクとリターンのバランスに関する議論をファシリテートする役割を担うことが期待されます。
4. 部門横断的な連携とリスク文化の醸成
新規事業は特定の部門だけでなく、研究開発、事業企画、マーケティング、法務、財務など、様々な部門の協力が必要です。ERMを実効性のあるものとするためには、これらの部門間でのリスク情報の共有と連携が不可欠です。また、新規事業においては「失敗は成功のもと」といった文化が重要ですが、同時にリスクを隠蔽せず、早期に共有し、解決策を議論する風土を醸成することがERM成功の鍵となります。経営層がリスクテイクを奨励しつつも、リスク管理の重要性を繰り返しメッセージとして発信することが、組織全体のリスク文化醸成につながります。
5. モニタリングと早期警戒システムの構築
新規事業を取り巻く環境は常に変化します。設定したリスクが顕在化していないか、新たなリスクが発生していないかなどを継続的にモニタリングする仕組みが必要です。特に、事業の成否に大きく影響を与える可能性のある重要リスク(KRI: Key Risk Indicator)を設定し、閾値を超えた場合に早期にアラートを発するシステムは有効です。これにより、問題が深刻化する前に迅速な対応が可能となります。
ERMによる新規事業成功と企業価値向上
新規事業におけるERMは、単に事業の失敗を防ぐだけでなく、その成功確率を高め、結果として企業価値向上に貢献します。
- 意思決定の質の向上: リスクと機会を考慮した情報に基づいた意思決定により、有望な事業に資源を集中し、リスクの高い事業から早期に撤退するなど、経営資源の効率的な配分が可能になります。
- 予期せぬ損失の抑制: 潜在的なリスクを事前に特定し対策を講じることで、事業失敗による財務的な損失やブランドイメージの毀損といったダメージを最小限に抑えます。
- 投資家からの評価向上: 新規事業におけるリスクを体系的に管理する姿勢は、投資家に対して企業のガバナンス能力と将来への対応力を示すことになり、評価の向上につながる可能性があります。
- イノベーション推進力の強化: リスク管理の仕組みが整っていることは、事業担当者が過度にリスクを恐れることなく、新しいアイデアの創出や挑戦を行いやすい環境を作り出し、組織全体のイノベーションを加速させます。
まとめ:リスクを機会に変えるためのERM活用
新規事業創造は、不確実性という大きな課題を伴いますが、それは同時に大きな成長機会でもあります。この機会を最大限に活かすためには、リスクを単なる障害と捉えるのではなく、事業成功のための重要な要素として位置づけ、積極的に管理していく必要があります。
「攻め」のERMは、新規事業のリスクを網羅的に捉え、事業戦略と連携させながら、適切なリスクテイクと意思決定を支援する強力なフレームワークです。経営層のリーダーシップのもと、部門横断的な連携を強化し、リスクを恐れず議論できる文化を醸成することで、新規事業におけるERMは実効性を高め、企業の持続的な成長と企業価値向上に不可欠な要素となるでしょう。
新規事業への挑戦は企業の未来を切り拓く営みです。その羅針盤として、ERMを最大限に活用されることを推奨いたします。