サプライチェーンを超えたリスク管理:第三者リスク管理(TPRM)を統合したERM実践論
現代の複雑なビジネス環境において、多くの企業はサプライヤー、業務委託先、販売代理店、合弁事業パートナーなど、様々な外部の「第三者」との関係性に依存しています。これらの第三者はビジネスの効率化や新たな価値創造に不可欠である一方、予期せぬリスクの発生源となる可能性も秘めています。第三者の問題(例えば、サイバー攻撃による情報漏洩、コンプライアンス違反、財務状況の悪化、自然災害による操業停止など)は、直接的に自社の事業継続性、財務状況、ブランド評判、法規制順守などに深刻な影響を及ぼし得ます。
従来のサプライチェーンリスク管理は、主に原材料供給や生産委託といった物理的なモノの流れに関わるリスクに焦点を当ててきました。しかし、今日ではデジタルサービスの提供、ITシステムの運用委託、個人情報を含む機密情報の取り扱いなど、非物質的なサービスや情報に関わる第三者リスクの重要性が増大しています。これらの広範な第三者との関係から生じるリスクを網羅的に管理するためには、「第三者リスク管理(TPRM)」という包括的なアプローチが必要です。
そして、このTPRMを個別のリスク管理活動として行うだけでは、全社的なリスクの全体像を見失い、リソースの重複や抜け漏れを生じさせる可能性があります。真に企業価値の向上に繋げるためには、TPRMを全社的リスク管理(ERM)のフレームワークの中に統合し、経営戦略と連動させることが不可欠となります。TPRMをERMに統合することで、第三者リスクを他の主要な経営リスクと合わせて一元的に把握・評価し、全社的なリスクアペタイトに基づいた対応を講じることが可能となります。これは単なるリスク回避に留まらず、レジリエンスを強化し、信頼性を高め、新たなビジネス機会の創出を支援する「攻め」のERMの実践に繋がるのです。
本稿では、TPRMをERMに統合することの意義と、その実践に向けた具体的なアプローチについて解説します。
第三者リスク管理(TPRM)とは
TPRMとは、企業がビジネスを行う上で関わるあらゆる第三者との関係から発生しうるリスクを識別、評価、管理するための一連のプロセスとガバナンス体制を指します。対象となる第三者は非常に幅広く、従来のサプライヤーに加え、クラウドサービスプロバイダー、コンサルタント、保守業者、合弁事業パートナー、販売代理店、アウトソーシング先などが含まれます。
TPRMで管理すべき主要なリスクカテゴリーは多岐にわたります。代表的なものとしては、以下のようなリスクが挙げられます。
- オペレーショナルリスク: 第三者の事業停止、品質問題、サービスレベルの未達など。
- サイバーセキュリティリスク: 第三者経由でのデータ漏洩、システム停止、不正アクセスなど。
- コンプライアンスリスク: 第三者による贈収賄、不正競争、環境規制違反、個人情報保護法違反など。
- 風評リスク: 第三者の不祥事や問題行動による自社のブランドイメージ低下。
- 財務リスク: 第三者の経営破綻や信用不安による契約不履行や債権回収不能。
- 戦略リスク: 第三者との関係性が経営戦略の遂行に悪影響を及ぼす可能性。
これらのリスクは単独で発生するのではなく、相互に複雑に関連している点がTPRMの難しさであり、ERMとの統合が重要となる理由でもあります。例えば、委託先のサイバーセキュリティ対策の不備は、顧客データの漏洩を引き起こし(サイバーリスク)、個人情報保護法違反(コンプライアンスリスク)に繋がり、報道によって企業の信頼性が失墜する(風評リスク)といった連鎖反応を引き起こす可能性があります。
なぜTPRMをERMに統合する必要があるのか
TPRMを個別の活動として、例えばIT部門がサイバーセキュリティリスク、調達部門がサプライヤーの財務リスク、法務部門が契約コンプライアンスリスクをそれぞれ管理するアプローチには限界があります。
- リスクの全体像が見えない: 各部門が個別に対応するため、全社として第三者リスクがどの程度存在し、最も影響が大きいのは何かといった全体像が把握しづらくなります。
- 非効率性: 類似のリスク評価やデューデリジェンス活動が各部門で重複して行われる可能性があります。
- 戦略との乖離: 第三者リスクの管理が全社的な経営戦略やリスクアペタイトと整合しない可能性があります。リスクを過剰に回避するあまりビジネス機会を逃したり、逆に重要なリスクを見過ごしたりする危険があります。
TPRMをERMフレームワークに統合することで、これらの課題を克服し、以下のようなメリットを享受できます。
- 全社的な視点でのリスク評価: 第三者リスクを、他の主要な経営リスク(市場リスク、戦略リスク、オペレーショナルリスク、財務リスク、コンプライアンスリスクなど)と同一の基準で評価し、優先順位付けすることが可能になります。
- 経営戦略との連動: 第三者との関係構築や拡大が経営戦略の一部である場合、それに伴うリスクも戦略実行のリスクとしてERMの中で管理されます。これにより、リスク評価結果が戦略的意思決定に反映されやすくなります。
- リソースの最適配分: 全社的なリスク優先度に基づき、TPRMにおけるリスク評価や対策に投入すべきリソース(人員、予算、システムなど)を効率的に配分できます。
- リスク文化の醸成: 第三者リスクは特定の部門だけでなく、全社的に関わるリスクであるという認識が高まり、部門横断での協力体制が強化されます。
- レジリエンス強化と価値創造: 外部環境の変化や第三者の問題発生時にも事業を継続できるレジリエンスが高まります。また、リスクを適切に管理することで、信頼できるパートナーとの関係を構築・維持し、新たなビジネス機会やイノベーションに繋げることが可能となります。
TPRMとERMの統合に向けた実践ステップ
TPRMを効果的にERMに統合するためには、組織全体での体系的な取り組みが必要です。以下にその実践ステップを示します。
ステップ1:全社的な第三者リスクポリシー・フレームワークの確立
まず、第三者リスク管理に関する全社的な基本方針を策定し、ERMフレームワークの中でTPRMをどのように位置づけるかを明確にします。リスクアペタイトを考慮し、どのレベルの第三者リスクであれば許容できるのか、どのような種類の第三者に対してどのような管理を行うのかといった基本的な考え方を定めます。これは経営層の承認を得て、全社に周知徹底される必要があります。
ステップ2:第三者インベントリの整備とリスクの特定・評価基準の統一
企業が現在取引・連携している全ての第三者の網羅的なリスト(インベントリ)を作成します。各第三者との関係性(提供されるサービス、取り扱われる情報、重要度など)を明確にし、潜在的なリスクを特定します。ここで重要なのは、リスクの評価基準をERM全体で使用されている基準と統一することです。例えば、リスクの発生可能性と影響度を評価するマトリクスや、リスクカテゴリー分類などをERM全体で共通化します。これにより、第三者リスクを他のリスクと比較可能にし、全社的なリスクヒートマップの中でその位置づけを明確にできます。
ステップ3:契約・デューデリジェンスプロセスへのリスク評価の組み込み
新規に第三者と取引を開始する際や、既存契約を更新する際に、体系的なリスク評価(デューデリジェンス)を実施するプロセスを構築します。契約の種類や第三者の重要度に応じて、評価項目や評価深度を変えるといったティアリングアプローチを採用することが効果的です。評価の結果、特定されたリスクは契約条件に反映させたり、必要なリスク低減策(セキュリティ要件、監査権、保険加入など)を講じたりします。この評価プロセスは、ERMのリスク識別・評価プロセスと連動させる必要があります。
ステップ4:継続的なモニタリングと報告体制の構築
第三者リスクは一度評価して終わりではありません。契約期間中も継続的に第三者の状況(財務状況、セキュリティ態勢、コンプライアンス違反歴など)をモニタリングする体制を構築します。モニタリングの方法としては、定期的なアンケート、オンサイト監査、第三者機関による評価レポートの活用などがあります。モニタリングで発見されたリスクの変化や新たなリスクは、ERMのモニタリング・報告サイクルに乗せて経営層や関連部門にタイムリーに報告される必要があります。
ステップ5:テクノロジーの活用
TPRMの実効性を高めるためには、適切なテクノロジーの活用が不可欠です。第三者インベントリ管理、リスク評価ワークフロー、モニタリングデータの収集・分析、リスクレポート作成などを効率化するTPRM専用ツールが提供されています。これらのツールを導入する際は、既存のERMシステムや他の関連システム(契約管理システム、調達システムなど)との連携を考慮することが重要です。データの一元管理やシステム間のシームレスな連携は、TPRMとERM統合の効果を最大化します。
ステップ6:組織体制・人材育成
TPRMとERMを統合して推進するためには、部門横断的な協力体制が不可欠です。経営企画部門が全体の旗振り役となり、法務、調達、IT、情報セキュリティ、内部監査、各事業部門などが連携して役割を分担します。各第三者関係について、誰がリスクオーナーシップを持つのかを明確にすることも重要です。また、関係者に対するTPRMおよびERMに関する研修を実施し、リスク認識の統一と管理スキルの向上を図る必要があります。
統合の成功要因と課題克服
TPRMとERMの統合を成功させるためには、いくつかの重要な要因と、克服すべき課題が存在します。
成功要因:
- 経営層の強力なコミットメント: TPRMとERM統合の重要性を経営層が理解し、推進を支持することが最も重要です。
- 部門間の連携と協力: 法務、調達、IT、情報セキュリティ、内部監査、各事業部門など、関連する全ての部門が協力し、情報やプロセスを共有する体制が必要です。
- 明確な責任体制と役割分担: 各第三者関係におけるリスクオーナーシップ、およびTPRMプロセスにおける各部門の役割を明確にします。
- 適切なテクノロジー導入: TPRMプロセスを効率化し、ERMシステムとの連携を可能にするテクノロジーを選択・導入します。
- リスク文化の醸成: 第三者リスクは全ての従業員に関係するという意識を高め、リスク情報を共有し、懸念を表明しやすい文化を醸成します。
課題と対応策:
- データ収集・共有の困難性: 多くの第三者に関する情報を各部門が個別に管理している場合、情報の収集と一元化が課題となります。共有データベースの構築や、TPRMツールの導入、部門間での定期的な情報共有会議の実施などで対応します。
- 評価基準の標準化: 各部門で異なるリスク評価基準を用いている場合があります。ERM全体で共通の評価基準(リスクカテゴリー、評価マトリクス、リスク許容度など)を定め、トレーニングを通じて浸透させる必要があります。
- リソース不足: TPRMは多大な時間と専門知識を要する活動です。専門チームの設置、外部専門家の活用、テクノロジーによる効率化などで対応します。
- 既存システムとの連携: 既に導入されている契約管理システムや調達システムなどとTPRM/ERMシステムとの連携がうまくいかない場合があります。システム選定時に連携機能を重視するか、API連携などを活用してデータフローを構築します。
まとめ
複雑化・多様化する外部パートナーとの関係から生じる第三者リスクは、現代企業にとって避けて通れない重要な経営リスクです。これらのリスクを個別に管理するのではなく、全社的リスク管理(ERM)のフレームワークの中に統合することで、リスクの全体像を正確に把握し、経営戦略と連動した体系的かつ効率的な管理が可能となります。
TPRMとERMの統合は、単にリスクを回避するためだけでなく、企業のレジリエンスを高め、ステークホルダーからの信頼を獲得し、ひいては将来の成長機会を捉えるための基盤を強化します。経営層のリーダーシップのもと、部門間の連携を強化し、適切なプロセスとテクノロジーを導入することで、第三者リスクを「価値を創造するための不確実性」として管理し、企業価値の継続的な向上に繋げていくことができるでしょう。これは、まさに「リスクを価値に変えるERM」の実践に他なりません。
TPRMとERMの統合は容易な道のりではありませんが、不確実性の高い時代において企業が持続的に成長していくためには、不可欠な経営課題であると言えます。本稿で解説したステップと成功要因を参考に、貴社におけるTPRMとERM統合への取り組みを是非推進いただければ幸いです。